日本人と松茸~平安時代~
秋の味覚の最高峰、山のダイヤ、きのこの王様という言葉から、たくさんの方が思い浮かべるであろう、高級食材松茸。サワラの葉っぱを敷き詰めた桐の箱に、ででんと存在感を放つ大きな姿や、その芳醇な薫りも一緒に連想することでしょう。
松茸は、キシメジ科キシメジ属キシメジ亜属マツタケ節に分類されるきのこの一種です。「Tricholoma matsutake」という国際的な学名を持ち、英語では「matsutake mashroom」と呼ばれています。英語だけでなく、中国語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語でも松茸を表す単語には「matsutake」というローマ字が入っているのです。日本発祥のものとして世界各国に浸透しています。
そんな私たち日本人と馴染みの深い松茸ですが、これまでの歴史の中でどのような関わりをもってきたのか。それを「日本人と松茸」と題して紐解いていきたいと思います。
松茸という言葉が文献に現れはじめた「平安時代」
今から遡ること約1300年前の奈良時代、日本最古の歴史書「日本書紀」や、日本最古の和歌集「万葉集」、平安時代(794年~1185年)前期に作られた勅撰和歌集(天皇の命により編集された歌集)「古今和歌集」といった3つの古い書物に、松茸と思しき表記が見られます。どれも「秋の香」「茸」「茸狩り」という表現ばかりで、松茸とはっきり書かれていませんが、都に住む人々は秋の訪れを喜びながら、きのこ狩りを楽しんでいたようです。
そして、初めて松茸と表現されたのは、1005年頃の第三の勅撰和歌集「拾遺和歌集」と言われています。藤原輔相(ふじわらのすけみ)という歌人が「まつたけ」という題で詠んだ歌です。
「その火を先づ焚け」と「先づ猛からぬ」に題の「まつたけ」が掛けてあるんですね。松茸を用いた文献史料として最も古いものだそうです。この歌によって松茸という語が日本全国に広まったのかどうかは定かではありませんが、その後、あらゆる歌集や日記、史料にその名を見ることができます。
平安時代後期の歌集「散木奇歌集」の中には、松茸料理として焼き松茸があったことや、進物として松茸を贈っていたことなど、松茸をめでたい松竹に重ねた詠み方で表しています。同じく平安時代後期の史料「類聚雑要抄(るいじゅざつようしょう)」には、宇治平等院で白河法皇に出したメニューが「御汁物二度。寒汁松茸。熱汁志女知」と記されています。(※志女知は、しめじのこと。)白河法皇は「匂い松茸、味しめじ」を召し上がっていたようです。他にも、後白河法皇編集の歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には、比叡山の修験者の食生活を歌ったものがあり、精進物として松茸・平茸・えのき茸の名前が連なっています。
こういった奈良・平安時代の史料から、公家や僧侶は秋になると松茸狩りを楽しみに野山にでかけ、松茸は縁起のいい特別なものとして献上されていたことがわかります。弥生時代の遺跡から松茸を模した土人形が見つかった話もありますし、本当はもっとずっと前から私たち日本人の松茸に対する愛着は続いているのかもしれません。
アイ・エム・ビー(iMb)では、日本人のロマンとも呼べる松茸の人工栽培実現へ向けて、研究を重ねています。