豊臣秀吉と松茸

松茸,imb,アイエムビー,アガリクス,マツタケ

「日本人と松茸」の第4弾!今回は番外編です。日本人が昔から愛する松茸、かの豊臣秀吉も大好きだった松茸狩り。その逸話をご紹介します。

豊臣秀吉にまつわる松茸話

戦国時代から安土桃山時代を生きた武将、豊臣秀吉(1537年-1598年)、またの名を羽柴秀吉。農民の出から織田信長に仕官し、信長の夢であった天下統一を果たした成り上がりの天下人です。信長の草履を懐で温めた、一晩で城をつくったという伝説は皆さまもよくご存じかと思います。大坂城を築き、貨幣統一・兵農分離・太閤検地などを行いました。そんな日本の歴史において重要人物の一人である豊臣秀吉は松茸が好物だったと言われています。

豊國神社,豊臣秀吉像,imb,アイエムビー,アガリクス
大阪府の豊國神社にある豊臣秀吉公像

神沢杜口(かんざわとこう)著の随筆「翁草」(1776年〜1791年)より、太閤となった豊臣秀吉の松茸狩りのお話。

『太閤秀吉公の御時、秋の頃東山松茸多く出候由きこしめされ、近日に東山へ可成らせらる間、脇より取りまうさざる様にと仰出されけるに、早先達て洛(みやこ)の者共入り込み、残少なく取りたる跡なれば、詮方無く奉行衆方々の山々より松茸を取り寄せ、一夜の内に植えさせける。斯て太閤成らせられ、女中衆も多く召連られ松茸上覧、御自身も取らせられ、御機嫌不斜。然るに植えたる松茸なれば、自ら生えたるとは格別違ひけるを、太閤の知らせ給わぬを、女中衆囁笑ひて、面々さへ是れを知るに、さしもの御名将の御存知無きこそ可笑しけれと、或るさがなき女中卒度此の由申し上ぐるに、秀吉公笑はせ給ひ、などか夫れを知らざらん、だまれと仰せられ、其の後かの女中は、御気色に違はれしとなん。名将の寛宥たる事、尤もさもあるべき事か。』

【訳】秀吉が太閤になった時の秋頃のこと。(京都の)東山に松茸が多く生えているのを聞き、近々東山へ松茸狩りに行こうとおっしゃった。(松茸狩りの前に家臣たちが東山へ下見に行くと)、すでに京の人々が山へ入って松茸を採り尽くした後で僅かしか残っていなかったので、止むを得ず他所から松茸を取り寄せ、一晩のうちに植えさせた。こうして(松茸狩りの当日)太閤秀吉は、たくさんの女中を引き連れて東山の松茸をご覧になり、上機嫌な様子で松茸狩りを楽しんでいた。人が植えた松茸と自然に生えた松茸は全く違うものなのに、太閤はそれをご存じもなく楽しんでいらっしゃることよ、と女中たちは忍び笑いをし、ある意地の悪い女中の一人が「みんな(自然に生えた松茸でないことを)分かっています。さすがの名将でもそれがお分かりになりませんか」とこっそり申し上げた。すると、秀吉は笑いながら「そんなことはとっくに知っている。(これだけたくさんの松茸を私のために用意してくれた家臣たちの苦労を思えば、そんな野暮な事を言えるわけがなかろう。)口を慎め」とおっしゃられ、その女中は態度を改めた。名将秀吉の(人の好意をありがたく受け入れる)心の寛大さが一番大事である。

松茸狩りを楽しみにしている秀吉のために、(もし松茸がない事を知ったら自分の首がとぶかもしれないという恐怖心からかもしれませんが…)一晩でおびただしい数の松茸をひとつひとつ手で埋めていった家臣たちと、わかっていながら騙されたふりをして上機嫌で松茸を採っていた秀吉の、心温まるお話です。途中で茶々を入れたいじわるな女中に対しても笑って諭した彼の「稀代の人たらし」たる所以が垣間見えます。

京都,東山,imb,アイエムビー,アガリクス
京都東山

また、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した医師、江村専斎(えむらせんさい)の日常を記録した随筆「老人雑話(ろうじんざつわ)」より

『山城の内山里といふ所を、梅松といふ坊主に預けらる。新に松を植え、程も無に松蕈(まつたけ)生じたりとて献上す。太閤笑て曰、吾威光誠にさもあらんといふ。其より数度献ず。実は他所より求て献ず。太閤左右のものにいふ、もはや松蕈献ずることやめさせよ、生ひ過るとのたまふとぞ。』

【訳】山城国(現在の京都府の南側)の内山里を梅松という坊主に預けた。新しく松を植えて間もなく松茸が生えました、と献上してきた。太閤秀吉は「私の威光ならばそういうこともあろう」と笑って言った。それから梅松から何度も松茸が献上されてきたが、実は他所から取り寄せたものだった。秀吉は側近に対し「もう松茸を寄こすのはやめさせよ。生えすぎだ」と言った。

松茸はアカマツの樹齢が20年〜30年になると発生し始め、30年〜40年の間によく生えます。ですから、植えてすぐの新しい松に松茸が生える事はありません。それを秀吉は知っていながらも、梅松の心遣いを無下にしたくないと献上品の松茸を喜んで受け入れました。しかし、何度も(しかもよそから買ってきた松茸をも使って)献上してくるものですから、さすがの秀吉も困って苦言を呈したというお話です。

戦国時代から安土桃山時代という乱世を生き抜いた豊臣秀吉。天下統一を成し遂げるまで、戦の連続で息つく暇も気をぬく暇もなかったことでしょう。安寧の世を手に入れ、太閤となった彼の、つかの間の休息が松茸狩りだったのかもしれません。

 

アイ・エム・ビー(iMb)では、日本人のロマンとも呼べる松茸の人工栽培実現へ向けて、研究を重ねています。