ニン・ニン・ニン 忍者の日

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今日(2月22日)は『忍者の日』
滋賀県甲賀市が2015年に2(忍)が並ぶこの日を『忍者の日』として制定しました。
私(岩田眞人)は、ことのほか忍者への思い入れが強く、子供の頃は本気で忍者になろうと考えていたほどです。

さて、「忍者と弊社アイ・エム・ビーの関係は?」と申しますと、これは非常に意味深い関係にあります。

忍者と言えば、闇に生まれ闇に消える宿命ゆえにその実態は不明ですが、紐解く鍵はあります。

江戸時代中期、延宝4年(1676年)に『萬川集海(ばんせんしゅうかい)』という忍術書が編纂されました。
伊賀(いが)・甲賀(こうか)の流派を越えて、藤林左武次保武(ふじばやしさむじやすたけ)が著した書物です。

この萬川集海のなかにつぎのような記述が見られます。

水渇丸:梅干の肉を打ち潰した物・一両、氷砂糖・二匁、麦門冬(竜のひげ)・一匁。細末にして丸める。
水に渇したときに用いる。

飢渇丸:人参・十両、蕎麦粉・二十両、小麦粉・二十両、長芋・二十両、甘草・一両、はと麦の種・十両、もち米粉・二十両。これらを各粉にして三年物の古酒三升に浸し、乾燥したら桃の種の大きさに丸めて一日三粒ほど用いる。食べ物が全くないときの助けとなる。

まさにサプリメントの原型と言えるものです。
体力・知力・精神力の限界を超えて、敵陣内に忍び続ける忍者にとっては秘伝の妙薬だったのかも知れません。

萬川集海に記された丸薬は経験的に考案された処方だと思われますが、特定の栄養成分を一定量摂取するために計算し、製造された近代的なサプリメントも、やはり日本が世界で最初につくりました。
そして、このサプリメントをつくったのは戦前の日本軍なのです。
驚くべきことに、日本軍は『特殊栄養食』と言われるサプリメントを携行していました。特殊栄養食は主にビタミン不足を補うために開発されたものです。日本は昭和初期まで脚気(心不全と末梢神経障害をきたす疾患)に悩まされてきました。

開発を担当したのは川島四郎(農学博士)です。
川島博士は昭和16年(1941年)に『戦闘糧食に関する研究』という文書を発表しています。
当初、ビタミンを携行食糧のなかに添加することが検討されましたが、酸化や変質のために断念。
試行錯誤の末、濃縮卵黄にビタミンをはじめとする栄養素を入れ、糖衣にして丸薬にするという方法がとられました。この特殊栄養食の登場で兵士たちの脚気や多くの疾病が激減したのです。アメリカ軍は戦争中に日本軍の特殊栄養食を捕獲し、その成分を調べ、あまりの完成度の高さに驚愕しました。

戦後、進駐軍のアメリカ武官が川島博士のもとへ三顧の礼をもって研究資料の提供を願いました。
二度まで断った川島博士ですが「人類のために役立てる」という条件と説得に応じて三度目に提供したと言われています。アメリカはこの特殊栄養食に基づいて、各種のサプリメントを開発。

それが世界中に広まり、現在に至っています。

ヒトは植物のように光合成ができるわけではなく、
人体を構成する成分は表皮からDNA、RNA、染色体といった遺伝情報物質まで、
口から入る食べ物と水、呼吸による酸素を利用して絶えず生合成、新陳代謝を繰り返しています。
何かの栄養バランスが崩れると体調を壊し、病気を発症するのは当然の理です。

どんなサプリメントが有効なのかは、その時々、地方地域、性別、職種、年齢層、
またスポーツ選手の場合は競技種目によって異なります。
経験と証拠(エビデンス)に基づき、各自に合った必要な栄養素を効率よく摂るという人類の英知は、
さらに進化を続けることでしょう。